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一曲歌いたくなる瞬間~子供の特権 [歌劇な雑文]

一曲歌いたくなる瞬間  ~子供の特権~
2015年1月29日(木)


久々に「一曲歌いたくなる瞬間」シリーズです(笑)
今年度から、別の大学の1年生の必修科目も受け持つことになりました。
普段は、某大学の3~4年生の専門科目しか担当していないのですが、
縁あって、他大学の1年生の必修を担当しました。やっと両方とも試験が終わり、
(現在採点中ですが、息抜きに)感想を書いておきます。


1曲歌いたくなる瞬間とは・・
それは試験開始直前の、「はじめ」の合図を待つ大勢の若者の熱い視線を浴びながら、
マイクを持って一段高いステージ(=教壇)に立っている時間。
もうこの注目度ったら、スター並み(笑)。手元にハンドマイクもあり、この注目の中
「一曲歌ってみたいわ~」と毎回思うので(歌ったらもう仕事なくなりそうで歌わない)、
その誘惑と戦いながら過ごす瞬間のことである。


今年も某大学の3~4年生向けの試験は、無事「一曲歌いたくなる瞬間」を迎えた。
2番手(試験監督助手)がてきぱき動き、マイクを持って試験に関する説明を一通り終え、
そしておもむろに、開始時間を待つ。この瞬間・・!久しぶりだったので、楽しんだ。
近頃、不正防止のための手順と説明が大変多く(A4で4枚ものシナリオをくれる)、
なかなかその静寂の注目瞬間を味わえていなかった。大急ぎで「はい、はじめて~」と
あわただしかったのだ。だが、シナリオ4枚にも慣れてきたので、時間が余った。
また2番手(助手)も大変要領の良い日本人女子院生で、支え手の大切をまた実感。
よく動いてくれたので、余裕ができたのだわ。
試験問題も頭使わなきゃ書けない論述(持ち込み可なの)で、カンニングは難易度高く、
しかも頭を使うお題が多いので、時間内に書くのがせいいっぱいやろ~?って
問題にしたので途中退出も少なく(真っ白答案はさっさと出て行くが)監督も楽。
楽しく帰宅できた。・・・こういう試験は作問と監督は楽だけど、採点が難しい。
で、いま気合を入れて答案を読んでて疲れたので、これを書いている。


今回のお話のメインは、他大学の1年生のほうだ。
この1年生。大学1年ってこんな子供だっけ・・・?と思うほど子供で、
軽いカルチャーショックを受けた1年だった。
「一生懸命頑張ってるのに」「やる気があったのに、分からないからやる気なくなった」
「分からないのに先に行くから、嫌になった(→もちろん質問には来ない)」とか
「ノートを取りやすいように板書してくれないからノート取れない(=そのまま写せば
いいように書け)」とか、アンケートに書いてくるのだ。

頑張った過程が評価されるのは、子供だけだよ。大学は高校までとは違うのだ。
一所懸命頑張ろうと、サボってようと、試験の「結果」がどうかで評価されるのよ。
この科目が理解できていることが履修したということだから、いくら出席率がよかろうと
おうちで頑張ってこようと、試験の結果、内容をまったく理解できていない人に
単位はあげられない。
本当は、講義内容を理解するだけじゃなく、講義で学んだことを自分で消化し、
自分の考える力にできなくては・・と思う。テキストに書いてあることを丸覚えしても、
それだけじゃ役に立たないってば。パソコンでちょっと検索すれば分かることなんてさ。
大事なのは、そういう知識を踏まえて新しいものを生み出す力なんだよ~といいたい。
周囲の状況を把握し、自分の置かれた立場と役割を理解し、求められた役割をこなす力が
必要よね。特に、企業の中で求められるアイデアや解決策に「正解」はないから
(というか、正解はいつになったら分かるか分からないことが多いから)だから、
一番良いと思われる策を、自分でアイデアを構築し提案していく力が必要になると思うの。
そして仲間(上司・同僚・部下・取引先などなど)と調整して遂行し、達成する力が
必要なんだと思うんだけど。・・・いくら君が頑張ろうと、成果が出ないものは評価
できない。「頑張ったこと」自体が評価されるのは、子供の特権なのさ。


さすがに3~4年生で、就職活動を経験した学生は、そんなことは言わない。
何社回ろうが結果が出ないこともあるし、さっと複数内定をもらえる人もいる。
100社頑張って回れば自動的に1社内定が得られる・・・なんてことはない。絶対ない。
どれだけ頑張ってたとしても、企業にとっては関係ない。試験の場で力を出せていないと
評価はされないのだ。(評価されないときは、自分の努力を主張するのではなく、
努力のやり方を省みて修正していくことが大事だと思うのよ。)
これは会社の中がそうだから。大人の世界はそういう評価体系だから。
「こんなに頑張ってるのに」と主張しても、営業成績が上がらなければ評価はされず
要領悪いなあ・・と思われる。そのうち、そういう裏でするべき努力を見せるほうが
恥ずかしいと気付くはず。というか「自分はこんなに努力した」と(成果が伴っていてさえ)
自慢するのは恥ずかしいって、大人なら。(成果を褒められたときに、いやいや実は
裏では結構やってたんですよ~なんて言うことはある。それは自慢じゃなく謙遜だ)
成果を出すために日々努力するのは当たり前。それで報酬もらうんだから。
「成果」(結果)を褒められたら喜んでいいけど、「努力していることだけ」を褒められたら
それは褒められてない。恥ずかしいと思わなくては>大人ならね。子供はいいよ。


「やる気あったのに」「嫌になった」とできないことを他人の所為にするのもだめ。
(もちろん私の教え方に問題があるんだろうから、こちらもいろいろ手を変えたり
工夫はするけど・・小学生じゃないから、いちいちノートチェックとかはしないよ。
質問に来れば、ちゃんと疑問がなくなるまで答えるけど、来ないでいう子が多すぎる)。
「やる気が出るように」とか「嫌にならないように」というのも、せいぜい中学まで。
(最近は高校までなのかな)。義務教育じゃないし、自分で選んで学びにきたんでしょ?
と思う。やる気のない人、嫌な人は、来なくていいよ!って言われるだけだと気付いたとき
は、遅いんだよ。(・・といいつつ、この大学、やたら過保護だと思う)
は!もしかしてこの大学、大学生は子供だと定義しているのだろうか?
そのまま社会に出す気なの?!ちょっと怖いぞ。(そういえば、企業で新人教育を担当して
いる友人が、子供のまま入社してくる子が多いのよ~と愚痴っていたな・・・)
大学は子供から大人になるための猶予時間だったと思うのですが、すっかり子供の場所に
なってしまったのか。
そりゃそのまま社会に出たら、戸惑いやっていけない新入社員が出るはずだわ。


大学って「自分で学ぶ」ところだと思ってたけど、「教えてもらう」ところだと思ってる
学生も多いね。学ぶヒントは教えてもらうけど、自分で学ばないと・・勿体無いよ。
(授業でヒントだしまくって、それで課題レポートで「気付き」があったのが分かる
ことをが書いてあると嬉しいわ。ああ~話した甲斐があったなあと思える。)
大学で学ぶことは、講義の中だけではないと思うし・・昔はそういう先生が多かったし、
某大学のほう(3~4年生を担当している大学)はそういう考えで、試験も出席もかなり
自由度が高い。講義に出席しなくても、内容を理解し応用できてれば単位取れる!という
方式。学び方は自由だから。私もその考えに賛成なので・・ここの1年生の講義をして
かなりびっくりした。学生は受身だし、大学側も、出席管理やらなんやら過保護すぎと
思ったし。大学のカラーはあるなあ~(私立だし当然だけど)と実感した。
私のところには来なかったけど、大学生の親が文句を言いに来ることもあるらしい。
過保護なほど管理しているほうがいいらしいねえ。(親の立場でも、私は嫌だけど)


ということで、試験は終了したが、まだ1年生ほうは採点してない。
作問は大変だが、採点は簡単な問題だから。
そうそう、こちらでは「歌いたくなる一瞬」は来なかった。来そうにない・・。
問題用紙と解答用紙を配り「まだ触らないで」というのに、人の話を全然聞いてなくて
すぐに始めようとする学生とかいて、参った。注目してよ!こんなに無視されちゃ、全然
スターの気分なんて味わえないじゃないか!(笑)。・・・助手は使えん奴だったし。
(4月からの授業でも、後ろ向いてしゃべってる学生が多くて参ったもんだ。
前期試験で大量に落とすと、後期は大変静かにやりやすくなったが。後ろ向いて
しゃべったりスマホいじってて授業がわからんとか・・・私の疲労が激しかったわ。)
あとあれだけ「学籍番号と名前を書かないと0点だよ」と何度もアナウンスしたのに、
書いてない学生とか・・事務局から連絡があったが、どうしろと?
ま、「頑張ったこと」は、本当に頑張ったなら成果に現れているはずだから(多分)、
結果成果で評価させていただきますよ。

↑これ、私のスタンスだな(笑)。


読み返したら、えらい愚痴でした。ごめんなさい。
でも誰にもいえないので、すっごく言いたかった。
書いたら結構すっきりしたので、残りも頑張って採点するわ・・・。
夜中に逃避してしまった・・。。


夜中に書いてそのままアップしてはいけない・・と思っているのに。
朝起きて、書きわすれた大事なことがあるので、追加しておきます。

『しゃばけ』というシリーズ小説があるのですが、良い例があったので、
ここから引用させていただきますね。

お菓子作りが大変下手だけど大好きな若い見習い職人さん。
後から入門した弟子が、先に行く。自信をなくし菓子職人になる夢を捨てようと悩む。
それに対して師匠が彼に言う台詞。
「客にとっちゃ、売っている菓子を作った職人が、何年かかってこの菓子を
作れるようになったかなんて関係ない。菓子がうまけりゃいいんだ」
それをきいて、彼はまたお菓子作りを頑張ろう!と、改めて師匠に頭を下げ
親友は彼が美味しいお菓子を作れるように(陰ながら、心から)励ますのだ。

お客さんにとっては菓子が美味ければいい。
だけど師匠や家族や親友は、彼の努力の過程を認めてあげる。
成果が出るまでは褒めないだろうけど、努力を認めて応援してあげる、
成果がでるように。そのための家族や友人だよね。
(師匠は「売り物になる菓子」が作れるようになったら褒めると思う、
それまでは指導はしても褒めないと思う。それこそが師匠の役目だ)

・・・ということが言いたかったのです。はい。








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パクチー

私が高校生の息子にいつも言っていることがあります。
「努力は必ず報われるなんてことはない。努力すれば報われることもあるから、努力を続けなければならない」
周りからは、「厳しすぎる、夢も何もあったもんじゃない」と責められますが、「頑張れば夢は必ずかなう」なんて、いい大人は言ってはいけないと思っています。

もうひとつ、息子に言っている言葉
「自分を過大評価するな。しかし、自分を諦めるな」
今の子どもには、この言葉も厳しく聞こえるみたいです。

by パクチー (2015-01-31 15:26) 

えりあ

パクチーさん

コメントありがとうございます。そういうお母様ばかりだといいんだろうなあと思います。息子さんは幸せですね。
厳しく聞こえても、それが真実だから、ちゃんと知って生き抜いて欲しいですよね。私は娘によく「厳しすぎる。ひどい」と言われます・・・。
努力しないと叶う可能性すらなくなってしまうのに、「どうせ努力しても一緒でしょ。だめなら最初からやらない」というのは避けたいなあと思いますが・・このあたりが難しいです。義務教育の間は、努力すること自体を褒めるべきで、その後は厳しく・・でしょうか。
by えりあ (2015-02-01 22:13) 

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