映画「君の名は。」2016年9月28日(水) TOHOシネマズなんば
新海誠作品は、見に行くことにしている。
「君の名は」はかなり評判が良いらしく、大人一人でも見に行けそう?
という雰囲気があったので、見に行ってみた。
これは良かった。「星を追う子ども」以来、初めて共感できた作品。
(以来って、そんなにないんですが、初見が「星を追う・・」だったので
その後いろいろ新海作品を見たんですね~)
私が「良かった」と思った理由は後述しますが。
映像の美しさと細部までのこだわり。それは見事。本当に綺麗で。
日本のアニメ文化として世界に誇って良いと思う。
本作品はSFではなくファンタジー。詳細つっこまずに、情感を味わう。
ほんのりした、むずがゆくなる青春時代を回顧する(私はね)ノスタルジックな
作品でした。
ネタバレあります。
「君の名は。」
監督 新海誠
高校生の男女が突然入れ替わる!ことから始まる物語。
でもよくある入れ替わりコメディではない。そこは新海作品、全然違う。
ここを起点として始まる物語は、入れ替わりの必然性へと収斂していく。
なぜ時空を超えた入れ替わり現象が起こるのか?とかは謎のまま。
「宮水」という神職の家系で、そこに秘密がありそうだけど、
資料が焼失したので謎とされており、登場人物たちの誰にも明かされない。
それで説明終了。(これは親切だと思う)。あとは受け手の想像に任せる?
同世代の男女の入れ替わり。都会の少年と、田舎の少女。
東京のマンションで、サラリーマンと父と平穏な二人暮らしの少年、
地方の神社の神職の家系、巫女も務め、祖母妹と3人暮らし、父とは確執の少女。
共通項がありつつ対照的な二人。この入れ替わりの状況が、かなり楽しい。
突然、性別が違う他人の中に入るだけでもかなりの驚愕なのに、
暮らしている環境が全く違う。そのあたり、二人がそれぞれの日常を
正常に送るための苦労が、可愛らしくも微笑ましい。
入れ替わった二人に不信感を持つのは、親しい友人と家族。
さすがに接触時間の短い父親は、どちらの父もなかなか気づかない。
リアルですな(日本の父親は、子供と接する時間が短すぎるでしょ)
たぶん、気づきやすいと思われる母親は、どちらも不在。
不審に思う兄弟(三葉の妹のみ)は幼すぎて、異常を指摘するのみ。
三葉の祖母は気づいているが、自身も経験のあることなのか、
余計な口出しはしない。
だから、入れ替わった二人の違和感は、友人の口を通じて語られる。
まあ高校生なんてものは、一日の大半を学校で過ごすので、当然ですね。
そして、どちらも友人に恵まれている。
この物語、かなりの部分、「友情」が織り込まれていますよね。
スポ根モノみたいに、はっきり打ち出されないけど、緩やかに、さりげなく
篤い友情が表現されている。
今どきの子は、こういう友情を求めるんでしょうね。
彗星の落下、大悲劇だけど、素晴らしく美しく描かれている。映像美の極致。
その下の悲劇は直接は描かれない。悲劇の前、夜空を横切る美しい彗星と、
悲劇の後、二つになった湖だけを見ることができる。
そして。突然終わる入れ替わり。
このあたりの不条理は、自然界?の不思議として流すしかない。
彗星の魔力ともいえるか? 超自然の力。
そこで初めて、少年は謎の少女を探しに行く。それまでは「入れ替わった時の
不自然さをいかにごまかすか? 相手とのメール交換」に重点を置いていて、
それが途絶えたとき、初めて、「彼女・みつは」が気になりだす。
失って初めて気づく・・パターンですね。
この「世界」では、三葉の祖母が語ったように、入れ替わりは起こり得、
だがその記憶は薄れいくもの・・とされていた。これがルール。
だから。スマホに残っていたはずの彼女の日記が消え、自身の記憶からも
どんどん薄れていく彼女。ついに少年は、入れ替わっていた時の記憶を頼りに
少女を探しに行く。・・絵が上手くて良かったね!と思った場面だ(笑)
そこでさりげなく、彼を心配してついてくる親友・司。入れ替わった彼に
惹かれていた奥寺先輩。彼の不在をごまかす親友・真太。どこともわからない
田舎の山へ、一緒に来てくれる友人の存在は、ありがたいですね。
(ちゃんと父親への不在の言い訳も作ってるし。えらいぞ瀧くん)
最後は、失われた町出身のラーメン屋さんの車で送ってもらい、徒歩強行。
帰りはどうしたんだろう?と、とても心配になった。
望郷を掻き立てられたラーメン屋のおじさんも、心配になったに違いないから
迎えに来て彼を見つけたんだろうと推定。
彼はそこで、時間を超えて入れ替わりを「意図的に」行った。
ここで初めて、単なる入れ替わり、ではなく、未来からの予言者になる。
悲劇を告げても誰も信じてくれない。
しかしながら、三葉の親友、早耶香と勅使河原君は信じて動いてくれた。
自分たちの力の範囲で大人を出し抜いて。でも「子供」という限界にぶち当たる。
その限界まで、勅使河原君はとても頑張った。この勅使河原君、私すごく好きだ。
社会常識があり、まじめで義理堅く、しかも友情に篤い。さらには実務能力も高い。
登場場面から、「この村で一生を終えるよ」と達観している風であり、逆に言えば
この村が大好きだということが伝わってきた。愛する故郷ゆえに、三葉(中身瀧)の
言葉を信じて、人生をかけて行動したんでしょうね。
三葉のこと(違和感ありの三葉)を信じてくれる友人が、ここにも二人。
この切羽詰まった状況になって始めて、祖母が三葉の「入れ替わり」に言及する。
「夢を見てるね」という言葉から一歩踏み込んで。
そこから、三葉と父の戦いも始まるのだが、ここは案外さらっと流されてしまった。
ちょっと残念。初めて父が三葉と向き合う場面だったのに。
そして、瀧と三葉は、世界を変える。ここからパラレルワールドに突入したと
思うんですが・・未来が変わってる。
彼らが戦った内容と違うことが、のちの世界での週刊誌の記事として紹介されてる。
実にさりげない記事だが、「宮水町長が、たまたま避難訓練をしていたので、
村民全員無事」みたいな記事。この記事の横に、彼の略歴、民俗学者→神職→町長
が載ってる。それで、二葉とどうやって知り合い、どれだけ彼女を愛したかが
伺えますね。だからこそ、不思議の存在を信じていた彼が、神に絶望して町長になり
でも、三葉の説得に耳を貸した、という背景が伺える。まるっと抜けている場面
ですが、この一瞬の記事から想像することができますね。細かい演出だ。
・・・だが記事が一瞬すぎて、私には読むのぎりぎりでした。
あの隕石口の上で。時空を超えて一瞬だけ、瀧と三葉が触れ合える。
その一瞬の記憶も、やがて訪れる日常の中に消えていく。大事な大事な記憶という
記憶だけを残して消える。それを、彼らは二人して必死で掘り起こす。
その間。新しい世界で生きる人々が紹介される。
勅使河原君と早耶香、司、真太、奥寺先輩、四葉。主な登場人物みんなの未来が
一コマずつ語られる。(おばあちゃんと、お父さんも知りたかったぞ)
やがて、二人の強い思いは「再会」をもたらし(これ自体ありえない。と祖母は
言っていた)新しい物語を予感させて、終わり。
「お前は誰だ?」から「君の名前は?」が全編に渡るキーワードになってましたね。
なかなかに満足のいくラストシーンでした。
宮水三葉
ヒロイン、田舎(飛騨?)の由緒ある神社の娘。家系の能力である神秘の力を受け継ぐ。
遠くの他人と意識が入れ替わるという、どう使えばいいのかわからない能力ですが。
でもこの能力の所為で、この村(宮水神社の氏子たち)を救うことができたので、
この時のために、三葉のために家系に受け継がれていた能力なのではないでしょうか?
火事で焼失した資料には、「予言」として書いてありそう。
三葉自身は、閉塞した暮らしを厭う普通の高校生。田舎の名家の子らしい悩み。
田舎から出て、東京へ行きたいと願ってる。
(同じことを言って京都の大学に進学してきた友人達を思い出すわ、結構多いんだよね)
それが叶ったのが、この入れ替わり。と本人は信じてる。
普通の高校生なので、(神社の由緒も消失してるし)
彼女の予言は誰にも信じてもらえない。
だけど、最後は父が信じてくれた・・と想像してます。だから悲劇を避けられた、と。
この場面を入れなかったのは、なぜか? 私なら書くけれど・・・と思ったが、
それともそこは想像で十分だから? 新海監督に聞いてみたいところです。
(いや前提が違ったらどうしようもないけど。私も読解不足?読みすぎ?)
立花瀧
東京で暮らす父子家庭の少年。かなり普通。ちょっとイケメン。
都内の高校に通い、イタリアンレストランでアルバイトをしている。部活は無し。
都会っ子らしい対人距離。そこが三葉とかなり違い、奥寺先輩の気を引くことに
なってました。三葉は地方の旧家の娘で、女子力高い女子だし、女子としても
東京には中々いないタイプでしょうね。
普通の東京の男子高校生だった瀧が、一心に追いかける謎の女の子。
訳も聞かずに同行してくれる友人が居て、
なかなか良い学生生活を送っているではないか。
(私がお母さんなら、心配だけど嬉しいな~と思う。母は出てこなかったけど)
結局、瀧が三葉になっていた記憶が重要なキーワードで、宮水神社のご神体と
お供えのお神酒が鍵だった。(やっはり「この時」のために建てられた神社だよ)
最後、彼の熱意と三葉の熱意が、未来を変えることになりました。
会うはずのない一瞬の出会い、あの神秘の空間だからこその邂逅。
宮水神社の最後の力が、あの空間に使われた、・・と思いました(湖の底へ消失だもの)
この後、記憶は薄れていったけど、忘れないこともあり(顔は忘れてないのね?)
彼の進みたい道も決まった様子。再会を機に、歯車が動き出し、未来へ進みだした・・
そんなラストシーンでした。きっと就職活動も上手くいったでしょう(推定)
<瀧サイド>
藤井司
一見クールで冷静だけど、かなり情熱と行動力のある滝の親友。
三葉が入った瀧を「可愛い」とか言ってたね。なかなか動じない人物だ(笑)
映画には無かったけれど、ラーメン屋のおじさんに瀧のことを頼んできたに違いない。
気配りの人に見えた。卒なく内定8社(だっけ)貰ってたもんね。有能だわ。
高木真太
もう一人の親友。瀧の飛騨行きに同行しなかったので、出番が少なかったけど、
この3人は信頼関係がしっかりあるんだなと思わせえてくれた人物。
どーんと構えてるタイプで、安心できますな。
奥寺先輩(奥寺ミキ)
男子高校生憧れのバイトの先輩。彼女もバイトと言ってるし、煙草を吸ってるから
たぶん20歳を超えている女子大生? 高校生にとっては憧れのお姉さんだな。
結構な美人で色っぽい。服装もお洒落だ。意外に面倒見のよい人物。
モテモテで遊んでる風だけど、まじめで誠実な女性だと思いました。
瀧の父
普通のサラリーマン。瀧が出て行ってしまったためか、彼の入れ替わりに
気付かなかったな。ただ、寝過ごして当番を忘れた息子に朝食用意してあげて
「遅刻しても学校行けよ」と言ってやる。ちゃんとお父さんしてるやん!
と思いました。
<三葉サイド>
勅使河原克彦
三葉の友人、背後関係からすると幼馴染か?その割には苗字「テッシー」と呼んで
いるからどうなんだろう。幼いころからの友達なら、名前で呼ぶものね。
彼は大変な人物だと思う。まだ高校生なのに、老成しているというか、それでいて
熱いところもあり。人の話をきちんと聞き、家業の所為で実務能力にも優れている。
三葉のことが好きなんだろうな・・と思うものの、三葉の心は「ここにいない
誰か」に取られてしまったので、黙っている。おそらく三葉は気づいてない。
そして黙ったまま、ずっとそばにいてくれた早耶香と・・ですね。
いい夫婦になりそうだ。
名取早耶香
三葉の親友。テッシーとも親友という、男女入り混じった3人親友。この設定、
これだけで、映画一本できるよねえ(笑)
彼女はテッシーが好きだけど、テッシーが三葉を好きなのを知ってて、
三葉のことも好きなので、思いを秘めて、二人に協力していく。
とても控えめな頭の良い子だと思う。
最後は幸せになる!と予感させる一コマがあり、良かった良かった。
宮水四葉
三葉の妹。この子にもあの能力があるのか・・もう必要ないから、四葉には
出ないような気がする。姉のことも、家のことも冷静に見て現実を受け入れている
小学4年生。賢いなあ。(でも中高生になったらどうだろうな?あの姉を見ている
から、やっぱり冷静なままかな?という気もする)
朝いつも姉を起こしに来るので、先に起きておばあちゃんの手伝いをしていると
思われる。しっかりした二女だ。
おばあちゃん(宮水一葉)
宮水神社の神職。一番重要な話をしてくれる人。瀧入りの三葉のことも、
「夢を見ている」と表現し、自身も経験ありという話を聞かせる。
この人が語る言葉は、結構な重要キーワード。
達観した大人という存在がとても重かった。
お父さん
妻の死後、三葉と四葉を置いて出て行ったらしい。入り婿で神職の資格も
取ったらしかったのに、妻が病気で亡くなるのを阻止することのできなかった
神様を信じられなくなったんでしょうね。いい大人なのに、拗らせてます。
普通は、妻亡き後そんな青いこと言えず、残された幼い子供たちを育てる
のに必死にならなきゃいかんはず。妻の母に丸投げとは・・。
再婚せずに、糸守の町にとどまっているところが、まあ彼なりの戦い、と
いう気がします。しかし何と戦ってるんでしょうね。。。
例の事件で、娘たち(特に三葉)と和解できていたらいいですね。
勅使河原の父
典型的な田舎の土建屋の社長。結構いろいろ贈収賄やら癒着やってそう(笑)
息子もよくわかってるけど、どうしようもない、とあきらめている。
父の方は、若いころはともかく、今はそれが正しい道だと(無理やり?)
信じている節も感じられる。ま、普通のおじさんです。
テッシーは父を説得する気なんて、最初からこれっぽっちもなかったもんね。
(瀧入り三葉は、父を説得する!と言って頑張ったけど、
瀧無し三葉ならどうだったか?テッシーと同じように、あきらめた?)
そう考えると、なかなか対父親で面白い対比でした。
・・・新海監督、父親になにか思うところがあるのかしら?
今回は「母親」の出番はないですね(強いて言えば、二葉の母・一葉だけ)
こんな感じに受け取りました。
今回は、三葉の父、祖母、妹、勅使河原の父、ついでにラーメン屋のおじさんと、
大人の事情と思いがきちんと描かれていたと思います。
周囲の大人も、感情のある人間なんだと、分かるように描かれていました。
私はそう感じました。
家族や社会、主人公たちの背景が描かれ、社会に対する立場などもきちんと
リアリティをもって描かれていたのが、とても良かったです。
基本は「Boy meets Girl」。これは新海作品の永遠のテーマかも。
それはとても良いです。
ただ、一部の作品群のように、背景が全く描かれてない(無視される)と
多くの年代の観客からは違和感を持たれると思うの。
主人公世代(対象となる中高生)には大いに共感されると思うけれど、
それ以外の年代からは不快感を持たれる可能性が高い。(と私は思う。)
だから、本作品や、「星を追うこども」みたいにバックグランドが描かれていると、
美しい映像やピュアで甘酸っぱい青春期の少年少女の感情が、万人に好感を持って
迎えられるのでは?と思った。
SFというよりファンタジーだから、多くの世代に受け入れられやすいはず。
(SFとしてみると??が飛ぶこともあるが、ファンタジーなら十分。
理論で責められるより、情緒で流れていく方が見ていて共感しやすいですしね)
まあ、純粋な青春期がはるか彼方になった、世慣れた大人からの感想です。
実は新海誠作品は、ほぼ全部見ている。感想を書いていないのは、共感できず
否定的な意見になってしまうから。
その理由ははっきりしていた。「バックグラウンドが無いから」。
主人公たちが、困難に立ち向かうのは良い。彼らがおかれた立場はとても刺激的だ。
だけど彼ら未成年の中高生が、自分たちだけで問題を解決しようとしているのを見ると、
「親が心配してる探しているはず」とか「周囲の大人が見過ごすはずがない」という
シチュエーションが結構出てくる。そこでもやもやするのである。
主人公二人(と同世代の友人)だけしか出てこず、彼らの心境だけでつづられる物語は、
注意したり社会の規範を押し付けてくる大人世代を「何もわかってくれない」
「うっとおしい存在」「汚い」「いなければいいのに」と思っている中高生世代には、
大変共感が得られるに違ない。それら「邪魔するもの」が排除された、
彼らの理論だけで、話が進むのだから。
だから一定層ファンからとっても評価が高いが、国民的作品にはならない?
主人公たちの抱える課題も「何を甘えたことを言ってる」と一喝したくなるものも多く
彼らが嫌う汚れた大人から見ると、「考えが甘すぎる」「行動が幼すぎる」
「ありえない・・・」、ついには「いい加減にしなさい」「もう少し考えて!」
という感想になる。
でも「それ」が肯定される、まさにファンタジーの世界。
妙にリアリティのある世界でのファンタジーは、見ていてかなり厳しい。
私は中高生の親世代だから、余計に強く感じるのか。
広い世界を知らない人には(→この言い方も難しいですが、学校は特殊な閉鎖社会?)
「自分と同じ悩み」「自分の思う通り動ける」「理想の世界」なのかもしれない。
でも社会に出て、長く現実世界を生きていると、そのファンタジー世界の、
あまりの非現実感に、理想郷への憧憬ではなく嫌悪感を抱いてしまう・・私は。
嫌悪の理由は、自分がたちが日々築いている世界、自分たちの存在そのものが
完全否定されているから。(・・・と。以上は、全部私の私見ですよ)
これらはターゲットの限定される作品群ではないかと思いました。
新海誠作品の内、「星を追う子ども」と「君の名は」は、違う。(と私は思う。)
バックグラウンドとなる社会がきちんと描かれていて(完全に、ではないが)、
二人だけの世界ではなかったこと、彼らの周囲を生きる異年齢の人間(特に大人)が、
立体感をもって登場していたことが大きいと思う。
新海監督の作り方次第ですが、広い年齢層に訴えるなら、バックグラウンドは不可欠
ではないかと思うのです。主人公たちに奥行きがでるし、物語にも深みが出ると
思うのですね。描かれるテーマや、美しい情景、細かな描写など、大人が見ても
素晴らしいと思えるものが内包されている作品なのだから、最初から門戸を狭く
するのは,勿体ないわ~と思っていました。
「君の名は」。大昔、私ですらリアルでは見たことのない不朽の名作と同タイトル。
移動通信のなかった時代のすれ違いを描いた作品ですが、このタイトルを付けたのは
偶然ではないと思います。携帯どころかスマホという名の、誰もが常時持ち歩く
超小型のパーソナルなコンピューターが普通となり、個人が世界と一瞬でつながる現代、
それでも「君の名は?」と切実に叫び
名も知らず会えない相手を探しつ続けるシチュエーションとは?
それの解答例がこの作品なのではないかと思いました。
良かったです。次回作も楽しみにしています。
いろいろ勝手なことを書いてますが、いつものようにパンフレットは買ってませんし、
予備知識ゼロで見に行ってます。そして今も何も読まずに書きました。感想だから。
全然違ってたらごめんなさいね。こういう感じ方をしたオバサンもいるってことで~