SSブログ

映画「猿の惑星~新世紀」 [映画鑑賞]

映画「猿の惑星‐新世紀」
2014年10月3日(金)
なんばパークスシネマ S1 


前作『猿の惑星~創世記』は見ました。面白かったので、続編も見に行きました。
このシリーズ、名作だと思う。哲学的といえるテーマを深く考えさせられる。

大昔みた『猿の惑星』(原点1968)の地球に至る過程を丁寧に描いた様子なので、
1968年版のスタート地点に到達するには、まだまだ(あと1~2作?)時間が
かかりそうですが、なかなか普遍的で哲学的なテーマがあり、楽しみな展開ですね。
壮大なテーマなので、先が長そうですが、しっかり作りこまれているので飽きずダレず、
名作だと思います。先が楽しみ・・シリーズものの嫌いな私ですが、最後まで見たいわ。



『猿の惑星~新世紀ライジング』
監督 マット・リーヴス


「猿インフルエンザ」は類人猿の知能を高め、人間を死に至らす・・というウィルスで、
前作で怪しい製薬会社が作ったのでした。前作ラストは、それが世界中に蔓延し・・・、
と(人類にとって)暗い未来を示唆するところで終わっていました。
あれから10年後の世界。猿は進化し、人は絶滅寸前というところでしょうか?

今回は、猿社会と人社会が対等な関係になっていて、戦いか共存か?が最大のテーマ。
これは猿と人でなくても、人と人同士にもあてはめられる普遍的なテーマ。
いままでは人類の中で争ってきたけれど、今度は地球の覇者の地位をかけて、種族で
争うというところが違う。今回はほかのコロニーは出てきませんでしたが、人類以外の
敵が出てきたところで、人類は団結できるのでしょうか?それももう一つの大きなテーマ
ではないかと思うので、次回作以降で扱われるのでは?と期待がかかるところ。
(そして、団結してー難しいけどー多数派が選ぶのは、「戦い」か「共存」か?これは大きなテーマですが、
1968年版に行く予定だとしたら、「戦い」を選択して、滅んだのですよね・・)
猿も、人類も、種族をかけた戦いにどこまで団結できるのでしょうね。
猿のほうは、猿のほかゴリラやチンパンジー、マントヒヒなどの複数の種族がひとつの
コロニーで一緒に平和に暮らしていましたが、これはシーザーという飛び抜けて優秀な
カリスマ性のあるリーダーがたからでは? あと数世代もすると、猿対ゴリラとか
そういう主導権争いが起きないか・・・とか気にかかってしまった。
人類側も。今回はサンフランシスコの保護地帯?しかでてきませんでしたが、他と
連絡が取れたようなセリフもあり、今後他のコロニー(軍事基地とか言ってた!)が
現れたら、どうなっていくのか? またアメリカしか出てきてないけど、他地域は
どうなっているのか?(まあアメリカ映画はエイリアンも隕石も全部アメリカしか
襲わないので気にしないかもしれないが、私は気になる)
このウィルスが世界中に蔓延しているなら、猿は進化し、人は(免疫がなければ)死ぬ
んだから、猿圧倒的に有利?などと思ったり。人類はこのウィルスに対処する方法を
見つけていないし、すでに見つける手段も失ってそうな・・。

今回、共存派は、猿王国のリーダー(偉大なる革命指導者)であるシーザーと
人間のある程度知識層(支配層)のマルコム。
そして主戦派(敵は滅ぼせ)は猿の副リーダーのコバと人のリーダー・ドレイファス。
主戦派は、どちらも過去に敵対する相手から酷い目に合っている。個人的な恨みが骨まで
しみていて、敵を信じたり許したりできない。シーザーは逆に、人間の良いところ、
信じられる人がいることを、身を以て体験している。そこが大きな違い。(マルコムは不明)
すると、実体験が許容性の範囲を決めるのか?、許容性は「体験」を超えられないのか?
という課題がでてくるが、これは「超えられる」ことが『インビクタス~負けざるものたち』と
言う映画で証明されていた(実在の指導者ネルソン・マンデラ氏のお話)。
この映画では、二人とも超えられなかったが。超えられると言うことは奇跡的なことなの
ですね・・だからマンデラ氏は戦いの終結という偉業を成し遂げたのだろう。

結局、コバが戦争を仕掛ける。このあたり、実際に人間同士の戦争でも絶対あるよな!
という狡猾なやり方で、「なんて頭いい・・」と真剣に思った。
実際に戦いを始めるきっかけなんて、些細なことで十分。油が十分に撒いてあるところに
小さな小さな火花を放り込んでやれば、大火事大爆発を起こし燃え広がるってだけ。
一人の人間(今回は猿だが)の悪意で十分に発火するモノ。
逆に、戦いを終結するのは至難の業。多分シーザーはこれをわかっている。
ラストシーンはこれからの長い戦いと、終結への困難を思っているような表情に見えた。


この4人の行動に、猿の若者ブルーアイズとアッシュ、人間の若者(マルコムの息子)が
これらの現実を見ながら、柔軟に思考を変えていくところが、共存への希望の光、なの
かも。。。と思いました。猿側の長老(モーリスとか)もよかったですよね。
(またブルーアイズやアッシュ、マルコムの息子の変化が、大変繊細に描かれている。
本当にすごいわ~。猿なのに表情が読めるんだもの。感情の動きが、揺れがわかるのって
役者ももちろんだけど、脚本・演出のレベルが凄い。)


わずかな光のもとに、果てしない戦いの日々を送らなきゃならないシーザー、そして
マルコム。共存派の二人が生き残って、火をつけて死んだ二人コバとドレイファス=
主戦派が開始した戦いをつづけなきゃならんという皮肉が、とても辛いラストシーンです。
いや~深いわ。この映画。


共存か戦い(殲滅)か?は深いテーマだけど、どちらが正しいかは結論出ないですよね。
共存できたらいいけど、あくまで「共存」であり、どちらかの「隷属」であっては
ならないし、それは大変難しいこと。そして「戦い」も、敵側を完全に殲滅できれば
いいけれど(いやよくないか)、100%全滅させないと、禍根が残り、大きなリスクとなる。
ひとつの種族を100%殲滅するのは結構難しいのではないかと・・戦いを選択すれば
滅ぼしあうまで、消耗戦が続くのみ。それは衰退への道でしかない。だから主戦派の
主張はリスクが大きすぎて選択できない。妥協の余地があり微修正しながらなんとか
できそうな共存派に軍配を上げたくなる。(そんな理由か?!と言われそうですが、
それぞれの主張に理はあるような気がして・・さ~)

シーザーは人類を100%殲滅することは不可能だから、互いを無視しあう共存の道を
選びたいと考える。いつか共存共栄することもできるかもしれない、と考えたか。
一方でコバは、根本的に猿を見下す人間は、必ず猿を殲滅しようとするはずだから、
リスクを絶つべく、今この人間が弱っている時期に殲滅したい、今なら出来る
と信じている。いま味方に犠牲を出しても、将来の大きなリスクを絶つために、と
戦いをはじめたのではないか。という気がする。コバのこの思想の根本が理解できない
シーザーにはわからなかったかも知れないけれど。
でも結果はシーザーの予測通り、人間は簡単に殲滅できるもんではない。シーザーが
危惧したリスクのみが残り、コバは結果を知らず退場だ。シーザーは子供時代にウィル
という「善良で公平な、許容性の大きな人間」に育てられたことが、彼の行動に対する
大きな心理的制約になってる感じがする。逆に言えば、だからこそ、恐怖を使わず
猿たちをまとめ、猿民の圧倒的な支持を得ているのだろうけど。

ほんと難しいテーマです。永遠の課題。まだ誰も結論出してない。
この映画、この先どこまで行くのか、とてもとても気になります。


ついでに張っておきます→「猿の惑星~創世記」の感想はこちら

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。